前回、様々なトラブルに巻き込まれつつも何とかシドニーまでたどり着いたスヌスです。ただ、前回までは何やかんやでただの移動です。ここからが海外生活の本番。今回は1晩明けて実質的な初日のお話です。
今日も語り部はスヌス!
でははりきって参りましょー!
シドニーで無料エージェントの現地支店へ
予定では到着当日にその足でシドニーの現地エージェントさんにご挨拶に行く予定でしたが、行きの飛行機の諸々のトラブルの関係で翌日にお邪魔することに。
前日疲れてかなり早くに寝落ちしてしまったのもあり、その日は朝早くに目が覚めました。
元々オーストラリアが日本とはほぼ時差がないせいもあるとは思いますが、初海外ではあったものの特に時差ボケみたいなこともありませんでした(と言うかオーストラリア後に別の国にも行きましたが結局スヌスは時差ボケになったことは一度もないのですが…)。
ちなみにオーストラリアは北の方は熱帯や亜熱帯気候なのでほぼ1年中暑いですが、シドニー辺りから下は日本と同じ温帯で四季があります。ただ、南半球にあるので季節が日本とは逆です。
そんな訳で4月のシドニーは暑い夏が少しひと段落した頃といった感じで、スヌスが到着した頃は暑くもなく寒くもなくといった過ごしやすい時期でした。
着いてすぐの頃、日本と違って湿気がほぼまったくないので日陰に入るとクーラーが入っているように涼しいことにちょっと感動したのを覚えています。
さてさて、そんな訳でシドニーはセントラル辺りの宿に泊まっていたスヌスは一路街の中心、タウンホール辺りにあるエージェントのオフィスへ向かいます。
街並みや道行く人々を見ながらタウンホールへの坂道を上っていくだけで気分は爽快、何だかワクワクします。
シドニーは小さい街なので程なくして目的地の辺りまで到着したのですが、入口がいまいち判らずに若干眉をひそめていると見知らぬお婆ちゃんから声をかけられました。
優しい親日のお婆ちゃん
物腰の柔らかいほんわかした雰囲気のお婆ちゃんは
“Have you got lost?”(道に迷ったの?)
と私に声をかけるとにっこり。
正直その時点では別にめちゃ迷ってた訳でもなかったので、
「そうですね、敢えて言うならちょうどこれから迷う予定でした」ぐらいの感じで軽いボケでも挟みたかったとこなのですが、流石に到着したばかりでそこまでおちゃらける余裕も語学力もなかったのでひとまず
”Yeah, I guess so”(うん、そうみたい)
と無難な回答。
するとじゃあ一緒に行きましょうということになり、冒険を始めて20分で謎のお婆ちゃんがスヌスのパーティーに加わることに。
お婆ちゃんは得意の古代魔法を唱えては襲いかかってくるスライムどもをバッタバッタとなぎ倒し…とはなりませんでしたが、お陰で10分もしない内にエージェントの建物前まで到着できました。
そこで”Thank you!”とお婆ちゃんにお礼を言うと、何と
「どういたしまして」
と日本語で返事が返ってきてびっくり。
オーストラリアは割と親日だと出発前のリサーチで何度か目にしたのですが、初日から親日のオーストラリア人さんに逢えるとは思っていなかったのでちょっとびっくりしつつも何だかほっこり。
ただこの3日後に同じ場所でいきなり知らない爺さんから
You’re truly a son of a bitch(お前は本当にくそ野郎だ)
※ 実際はくそ野郎よりもっとひどい意味です。面白半分で使わないでね!
と出会い頭に呟かれて
はい?
ってなる事件があったので一概に差別がないとは言い切れないのですが(本当に逢って会話もないまま即言われたので多分白人至上主義の人とかだったのかと)、このお婆ちゃんに関してはいい人も多いよオーストラリアと思える印象的なエピソードになりました。
レンタル携帯をGETだぜ!
お婆ちゃんと別れたスヌスはそのままエレベーターを使ってエージェントの入っているフロアへ。
東京にいる時に東京支店の人たちにすごくよくしてもらったので、猛烈なウェルカムを予想してどうもどうもと入っていったのですが何だか雰囲気が違います。
それもその筈、すごい人数のお客さんがいます。
ごった返すってこうゆう時に使うんですねっていうそんな雰囲気。
この後無料でインターネットが使えるということもあって、オーストラリアを発つまでシドニーにいる時はしょっちゅうこちらのエージェントさんを訪れることになるんですが、毎日本当にたくさんの人が訪れていてほとんど溜まり場みたいになってる感じでした。
多分そんな感じなので、流石にひとりひとりに対してあー!どうもー!最近どうですかー!みたいなことやってられないんでしょうね。
対して東京支店の方はワーホリ、留学に興味がある人たちしかやってきませんので、そもそもお客さんもそんなにいませんし、何ならスタッフの方が多いみたいなことも多かったので応対もフレンドリーで丁寧です。名前を覚えてくれてたのも何だか嬉しかったですね。海外の雰囲気を出す為みたいのもあるかもですが、下の名前で呼んでもらえるのも普段日本だとあまりない感じだったので新鮮でした。
応対がいいことに関して言うと、エージェントがマージンという名の収入を得られる学校の申し込みも基本的には出発前に日本からというパターンの方が多いんじゃないかなとは思いますし、それもあるかもですが。
なのでエージェントさんにもよりますが、日本と現地だと対応の感じが違ったりしますのでその辺はこうゆう背景が関係していたりもするかもです。
個人的には東京での対応と同じものを予想していたのであれ?って感じだったんですが、まぁしかしこんなもんなのかしらね…と早々に割り切って学校などの説明をざっくり伺います。
その後レンタル携帯のサービスもやってるとのことでひとまず契約。
携帯がないと誰とも連絡がとれませんし、仕事の応募やシェアハウスの問い合わせも出来ません。
この時はお金にも余裕がないしなぁというのと取り敢えずって感じでNOKIAの携帯を契約したんですが、ここで改めて日本ってすごいのね…と再認識することになりました。
と言うのは、まだスマホも出てそこまで経ってなかったような時代ではありましたが、レンタルしたNOKIAの携帯(スマホじゃない奴)はその時出ているものでは特別尋常じゃなく古いものとかいう訳でもなく、多分普通のものだったからです。
ただ、海外ではです。
日本のハイテク携帯に慣れていた私にとってそれは完璧にオモチャみたいな感じで、実際落とすとバラバラになるという驚異的なクオリティーでした。
て言うか落とした拍子に爆砕した携帯を見た時、結構本気で
え?ドッキリですか?
って思いました。
そんな感じで最初落とした時壊してしまったと思って超焦ったのですが、単に繋ぎとかの作りがちゃんとしてないから落とした衝撃で外れちゃって結果的に部品全部バラバラになったみたいなことだったみたいです(なので組み立てたら普通に直った)。
ほぼガンプラですよ。
ちなみに起動した時の画面もモノクロでストリートファイター(しかも1、2じゃなくて)みたいなカクカク映像が表示されるという徹底ぶりでした。
もう何か熱いですね。
まぁしかしそんな感じだったので、正直大げさではなくて10年くらい時代が違う感じでした。みんな最近はガラケーのこと馬鹿にしてますが、ガラケーってそもそも日本という島国で独自の進化を遂げたスーパー携帯みたいのが元々の意味なんで、日本のガラケーってすごいんですよ。
10年以上前から普通の携帯で写真も撮れれば音楽も聴けたし、何ならインターネット使ったりテレビ観たりも出来たわけです。相当ハイテクですよね。あの頃海外から日本に来た人は多分Amazing!って感じだったと思います。
ちなみにこの爆砕プラモ携帯はこの後しばらくしてから結局スマホに変えるんですが、その頃はスマホも微妙だったので、日本に帰ったら絶対ガラケーにするわ…!と固く誓ったスヌスだったのでした。
ではでは今回はこの辺で。
次回はフラット(アパート)探しのお話です!
あなたの明日が、きっとまた素敵になりますように。
スヌス